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日記

( 2003/02 ← 2003/01 → 2002/12 )


[ 新しいパソコンで、気分も新たに日記を書いてます ]
 午前中、県立中央病院の事務局長と面談させていただいた。医療現場のいろいろな問題点について話していただいた。
 午後3時、前々からオキデンに注文しておいたパソコン (本体のタワーだけ)が完成したとのことで、取りに行く。
 セットアップをしながら、速さ(Pen4.2GHz)と静かさ(今までのがあまりにもうるさかったらしい)に感動した。
 前のが完全にフリーズして(全部ぶっ飛んだ)、2週間ほどノートパソコンで日記を書いていたので、今日はすごく快適。これから何十年も使えそうに思う。
2003/01/31(金) 晴れ


[ 晴れて日差しは強かったが、風の冷たい日だった ]
 愛媛フットボールクラブの役員・関係者の皆さんが県庁自民党控え室に陳情にみえられた。
 趣旨は、現在のJFL(今期は第6位)から是非J2入りを目指したいので、県議会スポーツ議員連盟のバックアップがいただきたいとのこと。
 J2入りの条件としては 
 @JFLで2位以内(今の戦力でフィジカル面を鍛えれば十分可能とのこと)
 A照明施設と、固定席で15,000席以上の観客席を持つ球場(現在、愛媛にはない。将来の国体開催を視野に置けば、県としても必要な施設)
 B年間3億円の運営費(現在5,000万円ほどで運営、totoからの補助金等があるので実際には1億5千万円ほどが必要となる。)
 C県・市町村など、行政のバックアップ(人的・物的また、ソフト・ハード両面)
 D下部組織として、ユース・ジュニアユースのチームを持つこと
 などが挙げられている。
 一番大事な条件である@をクリアするためには、この1・2年が勝負だ。(この機を逃したらもう不可能かもしれない。)
 結局、僕や帽子県議などサッカーに縁のある県議や若手県議を中心に(谷本県議も6年間サッカー部に所属していたとのことで顧問になっていただく)サッカー議員連盟をつくり、サポータークラブのメンバー集めなど、できることからバックアップしていくことになった。
 県民の皆さんが夢や誇りを持て、また、県民スポーツクラブにもつながっていくような活動にしたいと思う。

2003/01/30(木) 晴れ


[ 大雪が降った 積もった雪に子供たちは大喜び  ]
 ご存知のように、今‘坂の上の雲’を読んでいるのだが(読む暇がなくてペースは遅い、いま文庫版の2巻め)子規の「俳句復興」についてのところで、参考になる表現があったので紹介します。
 「・・・芭蕉といえば俳諧の神のようなものであり、・・・芭蕉の句といえばそれだけで神聖とし、ことごとく名品とみるこの道の傾向に冷水をあびせた。子規は芭蕉の偉大さをみとめつつも、・・・芭蕉のあとたれもそれをなしえなかった断案をくだした。・・・芭蕉に悪罵をなげかけたのではなく、芭蕉の作品に対して、はじめて近代的批評精神による公正な場をあたえようとしたといっていい。・・・」
 秋山真之も同じ時期である日清戦争開戦時、巡洋艦のりくみの一少尉の身ながら、連合艦隊司令長官の伊藤中将の戦術を批判し、またほめるべきところはほめている。
 昨日から、第二期加戸県政がスタートしたが、僕も県議会議員として伊予の生んだ偉大な先輩たちを見習った行動をしなければならないと痛感した。
 しかしながらそのためには、自分自身に厳しく、そして‘成すべき事を成す’ことをしておかなければ、まわりから支持を得られないし(逆に支持者の皆さんに心配をかけるだけになる)、相手に正当に理解していただけないと思う。
 喜多郡の代表として恥ずかしくない活動をするために、アカウンタビリティー(説明責任)を意識しつつ頑張っていこうと思ってます。(これから論議されることになるであろう「県文化交流施設整備構想(県民文化会館の周辺の整備)」など、自分自身のスタンスをどう取るべきか・・・悩むところではある。ちなみに、‘個人的には’現時点でのこの構想には賛成しかねるのです。)

2003/01/29(水) 雪


[ 第二期加戸県政スタート ]
 今日が、第二期加戸県政初日となる。10時から県庁正門前で加戸知事の初登庁を職員・県議で出迎えるというセレモニーがあった。とても寒く雪もちらついていたので、待っている間皆震えていた。(高速が50キロ規制になっていたので早めにと思い、8時半ごろ家を出たのだが、立川から中山のあたりで大雪が降り始め、チェーンも積んでないし大丈夫かなと冷や冷やしながら走ったが、松山平野に着いたら晴れていた。松山は水不足になるはずだ。)
 10時30分より議員総会。2月4日の臨時議会に提出される、副知事等の人事案件(マスコミに先に報道されているので、なんとなくセガない)の説明などの協議が行われた。
2003/01/28(火) 雪


[ 子供たちをお医者さんに連れて行った ]
 下の3人の子供たちが、それぞれに風邪をひいているので、まとめて大洲の小児科に連れて行った(さすがに、6歳・2歳・0歳をとなると母親ひとりでは無理なので一緒にいった)。風邪がとても流行っているらしく、車が駐車場に入りきれないくらいだった。最近口癖になっている「内子か五十崎に小児科があればいいのに」を、今日も聞かされた。(小児科医不足は全国的な課題で、僕自身も県議会の一般質問で取り上げたことがある。リスクや苦労が他の科に比べて多いためになり手が少ないのが実情らしい。)
 ところで最近、侑己と賢四烽ヘ母屋に行ってばあちゃんたち(僕の母悦子や祖母義子)と遊ぶのが楽しいらしく、暇さえあれば行っている。ばあちゃんたちにとっても、元気の素になっていると思うし、親としてもありがたい。あと2年もすれば周も行き始めるんだろう。
 我が家は天神小学校のグランドに面しているのでいつも思うのだが、子供たちの声が聞こえるということは、とてもすばらしいことだと思う。地域にとっても宝物だ。
2003/01/27(月) 曇り時々雨


[ 愛媛県知事選挙投票日 ]
 知事選挙の祝勝会のため、与党議員が伊予鉄本社の会場に集まったのだが、皆がそれぞれの地元の投票率に一喜一憂しながらの結果待ちとなった。
 全県的にも、喜多郡でも欲を言えばきりがないものの、まずまずの結果でやれやれだった。
 いよいよこれからは、自分の選挙対策を本格的にやっていかなくてはならない。褌を締めなおさなくては・・・。
 なお、今日は内子町議会議員選挙も投票日だった。現時点で正確な情報が入っていないため具体的なコメントはできないが、得票数はそれぞれの陣営が精一杯がんばられた成果だと思う。
 当選する方も居れば落選される方も居るのが選挙の宿命だ。
 結果は結果として、全員の皆さんが、選挙戦でうったえた‘熱い思い’を今後のまちづくりに活かしていただきたい。
2003/01/26(日) 曇り時々雨


[ 選挙戦最終日 ]
 知事選挙・内子町議会選挙ともに最終日。知事選挙マイク納めの会が行われたが、五十崎町婦人会の新年会が18時30分から開催されたので僕はそっちに出席した(県議選挙前なので当然の選択)。
 カラオケで「麦畑」を歌ったのだがデュエットをしていただいた堀井さんのおかげで、大変もりあがった。かなり票が増えた気がする。
 家に帰ったとたんに、マイク納めの会に出席していた井原県議から電話が入り「ウグイス嬢から、岡田県議が居ないことでブーイング」とのこと「明日の当選祝いには絶対行って、晩御飯をおごります。」ということで収まった。
 明日は大変だ。喜多郡の知事選投票率さえよければ晩飯代は安いもんなのだが・・・。
2003/01/25(土) 晴れ


[ 熱い選挙戦真っ只中だが、寒い一日だった ]
 現在愛媛県知事選挙の真っ最中だが、内子町では町議会議員選挙も26日に投票が行われる。定員16人に18人出馬(現職16・新人2人)の少数激戦だ。
 激励のために、各候補の事務所を挨拶してまわった。陣営によってさまざまではあるが、それぞれに地域の奥さん方や責任者の方々が、甲斐甲斐しくお世話をされている。2ヵ月半後の自分の姿を想像しつつ「選挙はたくさんの方の応援があってこそやり通せるのだ」と痛感した。また、特に地域の選挙になればなるほど‘地縁’‘血縁’などが複雑にからみあって難しさが窺える(内子でも100メートルほどの範囲の中に3つの事務所があるところもあるが、責任者の方も「正直言って、やり難い」と言っておられた)。
 何れにしても、選挙後に感情的なしこりを残すことの無い様にはして頂きたい。後々の‘地域おこし’や‘まちづくり’にまで影響があったりしたら、何のための選挙か分からない。(内子にはいないと思うのだが、あえて‘しこりを残す’様に仕掛ける悪質な連中もたまに居るので要注意)
 夕方から、内子と松山で新年会。早めには帰ったのだが、やっぱり飲みすぎていて今日は久しぶりの「朝書き」になった。
2003/01/24(金) 曇り


[ 僕以外の家族はみんな風邪をひいている 注意せねば ]
 衆議院の予算委員会総括質疑が始まったが、野党側のトップを切った民主党の菅代表との質疑はかなりエキサイトしたようだ。
 ひとつの目的ために激しく議論をすることは、それはそれでよいことだと思う。しかし、今わが国に大事なことは「議論」とともに「挙げて取り組む」という姿勢だと思う。
 党利・党略や派閥の勢力争いのように見えてしまうと、国民はシラケてしまう。だって、「今はそんなことをしてる場合じゃない」と、みんなが思っているから・・・。
 政治家や政党も、もう今までのやり方は通用しない。ほとんど皆が解っているのに、まだ解ってない人が政治家や官僚のなかにおいでることが一番の問題だと思う。
 1月26日は愛媛県知事選挙の投票日です。今、投票率の低下が懸念されておりますが、議会制民主主義を基本とするわが国において、各種選挙の投票率の低下は根幹にかかわる問題だと思います。
 選挙や政治に‘無関心’にさせたり‘嫌気’を起こさせた、政治家やマスコミにも問題はあるかもしれませんが、根本的にはこの点でも大事なのは「愛郷心」であり、そのための‘教育’や幼い頃からの‘躾’だと思います。
 今‘坂の上の雲’を読んでいるので、特に思うところがあります。
 尚、司馬遼太郎氏は‘坂の上の雲’のドラマ化について、時代背景や設定上、作者の意図が誤って伝わってしまって‘軍国主義’の色が出ることを懸念し嫌がられていたそうだが、僕も「愛郷心」や「愛国心」などを‘軍国主義’や‘侵略主義’と無理やり同義語に使おうとする人がいることが少し心配ですので「僕は平和主義者です。そして、愛郷心はもっともっと高めようと思っています。」ということを強調しておきたいと思います。
2003/01/23(木) 曇り時々雨


[ 知事選挙期間中最終の議員総会 ]
 11時から議員総会。高速道路の内子〜伊予が通行止めらしいということで、早めに出たのだが大丈夫だった。松山に早く着きすぎただけで、遅れたわけではないから今回は別段問題なかったのだが、高速道路にも弱点があることを思い出さされた。
 議員総会の内容は、今回の知事選挙の状況分析などが主であった。全県ともに似たような状況のようで、ほとんどの県議の思いも同じようだった。
 街宣車は、今日は松山市内を運行。ウグイス嬢や、運転手の皆さんも疲れがピークになる時期なので、「いずれにしても、あと3日だから頑張ってよ。」と、激励しておいた。
2003/01/22(水) 晴れ


[ 知事選挙もいよいよ終盤戦に突入 ]
 知事選挙の確認団体‘元気えひめの会’の広報車が8時30分に五十崎町に着いた。助手席に乗り込んで河辺・肱川・五十崎・内子と昼食をはさんでではあるが、ズーッと手を振っていた。寒さで左手の肘から先が痺れてきたほどだった。
 でも、河辺村の村長・議長・幹事長をはじめ、各町村で有志の方がお手伝いをいただいたのだから有難いことだと思う。
 あとは、結果を出すだけというところだが、各町村ともにムードが上がらないことを嘆いておられた。実際この状況でムードを上げることは至難の業だ。なんといっても、「すな!すな!」言うとって「結果は出せ!」なのである。選対本部の幹部の皆さんもつらいとは思うが、各支部の皆さんはもっと困っておられるし、何と言うか‘とまどって’おいでます。
 そんな中で、内子町だけは今日が町会議員選挙の告示日ということもあって、とてもにぎやかだった。たくさんの方に手を振って頂いたのだが、訳わからずに振っている人もおいでたのではなかろうか?でも、間違いなく投票率は高くなるはずだから、まぁいいか。
 明日の議員総会で、他の地域の状況を聞くのが楽しみだ。(苦労を分かち合いたいッテカ?)
 一昨日から読み始めた‘坂の上の雲’やはり読み出したら止まらなくなる。睡眠不足になりそう。それと、どこででも読めるように、明日にでも文庫版をそろえようと思う。それと、ある程度の年齢になったら、子供たちにも皆読まそうと思ってます。将太朗とは昨晩話した。興味はあるらしい。(NHKのおかげか?)
2003/01/21(火) 曇り


[ Q.「知事選挙 状況分析をせよ!」 A.「???」 問題が難しすぎて、とてもまともに答えられそうもありません ]
 今日、突然、自民党県連からFAXが届いた。内容は
「・・・今回の知事選挙が、現在どのような状況にあるか、各県議の地元を分析し、・・・分析報告書(情報・問題点)を・・・22日の議員総会の際にご提出願います。また、管内の投票率・得票数を予想していただき、合わせてご提出いただくようお願い申しあげます。」
と、いうものでした。
 明日は丁度、‘元気えひめ’広報車の関係で郡内の町村を回るのでいろいろと聞かせてもらおうとは思っているが、「問題点」等は言いにくい部分が多いし、予想もこれまた非常に難しい。希望的な数字を報告して結果が悪いと怒られそうだし、悲観的に報告して結果のほうが良すぎても馬鹿にされる。かといって、予想が当たったから「ピタリ賞」とか「一番近いで賞」を貰えるわけでもないし・・・。
 名案があれば、是非教えてください。
 ところで今、五十崎でもアラレが降っている。たぶん河辺では雪が降っていることだろうと思う。明日の天気は大丈夫だろうか?(チェーンを巻いての街宣は勘弁して欲しいのだが・・・)
2003/01/20(月) 曇り


[ ‘坂の上の雲’もう一度読み直すことを決意 ]
 14時から恒例の五十崎みのり会青年部レクバレー大会。今年から女性にも声をかけたせいか、とても盛り上がったようだ。
 ところで、最近本を読む時間が無くて買っただけで全くページを開けてない本がたまってはいるのだが、今日からまた‘坂の上の雲’を読み直してみようと思っている。内容で忘れてしまっている部分を埋めておこうという意味もあるが、今まで3回読んでその度に別な印象だった。その時々の僕自身のスタンスの違いで変わったのだろうと思う。今回はどうだろうかと楽しみながら読もうと思う。
2003/01/19(日) 曇り時々雨


[ 侑己が補助輪なしで自転車に乗れるようになった ]
 12時からの五十崎町身体障害者更生会新年会に出席。お年を召された方が多いのだが、皆さん何らかの障害を乗り越えた‘自分自身に対する強さ’と‘相手に対するやさしさ’を持たれているせいかとてもお元気だ。特に健康に気つけてもおられるのだろう。
 閉会まで居たので、少しお酒を飲んでいたので夕方から松山へでるためお酒も抜いておこうと思い、小学校の校庭で侑己の自転車の特訓をした。最初かなり長い間補助付きで練習をさせて、補助輪をはずしてのさせたら‘なんと’すぐに乗れた。
 本人もとても嬉しかったらしく、「楽しい」「気持ちいい」を連発しながら走り回っていた。親としても、小学校に入るまでに乗れるようになるのかと心配だったのでとても嬉しかった。今年の‘岡田家重大ニュース’の第一号だ。
2003/01/18(土) 晴れ


[ 老人パワー・女性パワーを痛感。日本再生のキーワードではなかろうか。 ]
 11時より、五十崎町の平岡老人クラブの新年会。皆さんとてもお元気だ。また、女性が4分の3以上の割合を占めている。老人パワー・女性パワーを象徴するような会だ。元気の秘訣は‘趣味を持つこと’・‘明るいこと’のようだ。見習って元気でいたいものだし、今日は皆さんからパワーをいただいたような気がする。
 夕食は宇和島の焼肉‘十八番’(大将が10年来の友人)で、知事選挙の広報宣伝車のウグイス嬢らと共にした。彼女らもとても元気。今日は一日、いろんな人たち(特に女性)からパワーをいただいた日だった。
2003/01/17(金) 晴れ


[ せわしい一日だった。眠い。 ]
 5時30分起床。眠けまなこでひげをそっていたら、あごをスパッと切ってしまった。
 7時25分羽田発のANAで松山に帰り、10時過ぎに松前町にはいる。10時45分から知事夫妻と街宣車を河辺村まで先導。
 13時からの河辺、14時15分からの肱川、15時30分からの五十崎、16時30分からの内子の加戸知事個人演説会をこなし、終了後16時30分から始まっていた五十崎町老人クラブ連合会の新年総会に出席。
 18時30分からは、大洲・喜多建設業協会の内山支部新年会。飲まないつもりだったのだが、気のおけないメンバーであり過ぎたのでついつい飲みすぎてしまった。
2003/01/16(木) 晴れ


[ 自民党大会のため上京 ]
 9時40分発、ANAで上京。自民党本部において13時から‘全国青年部長・青年局長合同会議’に出席。麻生太郎政務調査会長、山崎拓幹事長との意見交換。
 15時からは‘平成15年 自由民主党 青年部・青年局、女性局 合同全国大会’。中川昭一組織本部長・山崎拓幹事長・小泉純一郎総裁のご挨拶の後、本県の田中多佳子県議が議長を務めての議事。
 第二部として「新しい時代にふさわしい教育基本法とは」と題しての麻生政調会長の基調講話とパネルディスカッション。またまた教育基本法改正の必要性や、幼児期からの躾の大切さを痛感した。
 夕食は、自民党の奢りで‘赤坂四川飯店(陳建一のお店)’の中華料理をごちそうになった。
 この日記はニューオータニで書いてますが、明朝は羽田発7時25分の便で帰らなくてはならないので、今からおとなしく寝ます。
2003/01/15(水) 晴れ


[ 長浜町で、加戸候補個人演説会 ]
 12時に瀬戸町の風車で待ち受けて、街宣車の先導をし、2時からの加戸知事の長浜での個人演説会に臨んだ。
 加戸知事自体が、話しに熱が入り、最後にご夫婦で歌まで歌われたので時間が超過してしまい、次の双海町との引継ぎの心配をしたのだが、集まっていただいた方との握手の時間を割愛して何とか対応できた。長浜町のかたがたには、握手はできなかったが歌が聴けたということで勘弁していただきたい。
 風は冷たかったが、晴れて日差しが暖かかったのでなによりだった。
2003/01/14(火) 晴れ


[ 五十崎町成人式 他所に比べたらましなほうなのだろうか?チョッと不安になった ]
 12時から、五十崎町成人式。5年前(僕はすでに県議になっていた)に中学校を卒業した子供たちだ。時の流れの速さを痛感する。
 婦人会からの記念品の目録を婦人会々長が贈呈するとき、代表で受け取る役目の男の子が‘ガムを噛みながら’‘片手で’受け取りやがった。そういうのがカッコいいと勘違いしているのだろうか?そう悪気はないのだろうし、若くて経験不足なのだから仕方がないのかもしれないが、チョッと淋しさを感じた。だから挨拶では司馬遼太郎さんの言葉を引用して「たのもしい人になってください」と、言わせていただいた。
 1時から、南プログループ会長の曽根角衛氏(ポポロ松ヶ花のCMで、「知らん」とか「教えん」と、言ってるおじいさん)の密葬に出席。長男の昭憲さんをはじめ息子さんたちにも大変お世話になっているし、孫の昭力くん(長男の長男、後継者としての武者修行を終え、現在実地勉強中)夫妻の仲人をさせていただいている。ご冥福をお祈りします。
 将太朗の誕生日はあさっての15日なのだが、明日もあさっても僕が痞えるので今晩10時過ぎてから、家族でバースディケーキを食べた。ダイエット中なのだが仕方あるまい。
2003/01/13(月) 晴れ


[ 正月気分締めくくりの‘どんど焼き’でぜんざいを食べる。後は選挙一色か・・・ ]
 12時から五十崎町福岡分館の新年会。小さな分館だがその分まとまりがあってとても気持ちのいい所だ。内子町と合併してもこの良さを武器にして益々活性化させてほしい。
 1時から地元西沖分館の‘どんど焼き’。正月飾りを川原で焼いて、その火で鏡餅を焼いてぜんざいにして食べる。とてもおいしかった。毎年このときに‘寒バヤ’の焼きたてもご馳走になる。今年は特にやわらかくおいしく感じた。
 2時から八幡浜の井上万玉氏(南予グループ会長、砕石組合などで大変お世話になっていた。清家俊蔵県議のおじさんにあたる)の葬儀に参列。ご冥福をお祈りする。
 6時からは西沖分館の新年会。おばさんパワーの踊りの出し物などもあって盛り上がった。一応来賓のかたちで案内はされたが、地元中の地元なので、気兼ねもなくとても楽しめた。
2003/01/12(日) 晴れ


[ 内子・五十崎のこれからの主役となるメンバー‘内山青年会議所’新年会 ]
 8時から午前中いっぱい、知事選挙の‘元気えひめ号’(広報車)を先導して重信・川内・砥部をまわる。
 夕方7時30分から、内山青年会議所新年会。僕のJC時代の女房役であった西田一朗君が理事長。スローガンの「みつめ直そう地域(まち)を!集めよう仲間を!時(いま)を大切にしたいから!」は、大変に時宜を得ていると思う。西田理事長を中心にメンバー全員の活躍を期待する。
 挨拶の中で、地域活性化の手立てとして‘内子・五十崎でしか食べられないもの’をつくることを提案した。いま、内子町の‘松乃屋’(固有名詞を出してごめんなさい)のおもてに大きくお品書きが書いてある。いい雰囲気だし、僕自身‘松乃屋’の‘さつま’めしや、きじの‘柳川’風は大好きでとてもおいしいと思う。一度食べた人はまた食べたくなると思うのだが、‘さつま’も‘柳川’も九州の地名だ。
 ‘うちこ’めし、きじの‘内子’風で定着するように内子・五十崎のみんなが知恵を出し合いながら努力していかなければならないと思うし、そのためには内子・五十崎でしか食べられない食材づくりも不可欠だと思う。
 合併までに、そして「坂の上の雲」の放映までに確立して欲しいと思う。
2003/01/11(土) 曇り時々雨


[ 「坂の上の雲」ドラマ化決定 ]
 ‘第18回愛媛出版文化賞’贈呈式に、県議会議長代理で出席。
 その会場でも話題になっていたのだが、昨日、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」が、2006年のNHKスペシャル大河でドラマ化されることが発表された。僕は司馬遼太郎の作品が大好きで、なかでも「坂の上の雲」は、「項羽と劉邦」の次に好きな作品です。
 また、実は僕の持っている「坂の上の雲」は、宝物のような本なのです。と、いうのは当時の愛光学園校長であった田中忠夫先生から「秋山好古大●(崩した字なので読めない)の青年前期の気魄が君の魂に宿って 奇跡を成就せん事を祈る 昭和五十年八月吉日 田中忠夫 岡田志朗殿」と、表紙の裏に自筆で書かれた‘坂の上の雲第一巻’をいただき、今でも大切にしています。
 正直言って、高校時代に読んだ時には何の感動もありませんでした。(だから奇跡も起こらなかった)しかし、社会人になってから読んだときにはすばらしさが解りました。そして、県会議員になってから読み返したとき「すべての日本人に読んでもらいたい」と思いました。だから、本会議での一般質問にも引用もしています。
 3年後がとても楽しみです。そして、それまでに愛媛をもっともっとすばらしいところにしとかなくては、司馬さんにも田中校長にも申し訳がたたないので、そのつもりで頑張ろうと思います。遅まきながらでも奇跡を成就させなくてはなりませんから・・・。
2003/01/10(金) 晴れ


[ いよいよ愛媛県知事選挙がスタート ]
 8時に県庁集合、選挙事務所で広報車の運行についての打ち合わせの後、9時からの出陣式神事と9時30分からの出陣式。無事終わって、明後日以降の運行計画作り。
 昼ごはんは、選挙事務所で‘お約束の’(選挙期間中の節目の時の定番料理なのです)カツカレー(COCO一番屋からの出前)を食べた。
 家に帰っての晩御飯は、‘僕の大好きな’カレーでした。(昼のカレーを食べながら、サイクル的にそろそろカレーが来そうだな・・と、予測していたのがピタリ当たってしまった。)
2003/01/09(木) 晴れ


[ 第四回 内子町・五十崎町合併協議会 ]
 14時から五十崎町共生館において‘第4回 内子町・五十崎町合併協議会’が開催された。
 2月16日に開催される‘住民参加の合併問題を学ぶ講演会’(ただいま参加者募集中です ふるってご参加ください)の進捗状況の報告の後、各種事務事業のうち人権対策関係と学校などの通学区の取り扱いについての協議が行われた。今日の協議事項は、特に議論の分かれるような内容ではなかったので非常にスムースに進行した。
 今日の会議で、付属資料として‘内子町・五十崎町合併協議会管内図’と、本年1月1日から朝日新聞で5回シリーズで連載された‘地域再生「内子」の模索’をいただいたのだが、じっくりと地図を眺め・記事を読むにつけて「内子町・五十崎町の合併はベストといえるかどうかは不明だが、少なくともベターであることは間違いないと確信がもてた。
 ベストにするためには、両町の人々が「良い町をつくろう」という思いで心をひとつにすることが不可欠だ。そして、その同じベクトル上で議論をし、切磋琢磨しなければならないと思う。
 いよいよ明日は、愛媛県知事選挙の告示日。出陣式の準備の為に8時までには松山に入らなければならないので、今日は早く就寝しようと思う。
2003/01/08(水) 晴れ


[ 年明け早々とても情けないはがきが届いた ]
 10時30分から、五十崎町新春挨拶会に来賓として出席。
 午後、内子町商工会の森本会長のご母堂様の葬儀に参列。ここのところ、とても寒い日が続くせいかお亡くなりになられる方がとても多い。
 夕方からは、篠原県議・井原県議とともに関谷先生と会食。楽しいひと時を過ごした。
 ところで今日、「高知県警察本部交通部高速道路交通警察隊」という長ったらしい名前のところから‘呼出通知書’なるハガキが届いた。そういえば、昨年のクリスマスイブに井原県議一家とディナーの後、アンパンマンミュージアムに行く途中の高速道路で赤い光がピカッと光ったのを思い出した。
 自動取締り装置が設置されていることには気が付いたのだが「まっ、いいか」と、スピードを緩めなかった。いわゆる魔が差したというやつで、今になって思えばとても後悔してます。
 今現在は減点ゼロなのですが、たぶん一発免停になるだろうと今晩の会食での肴になってしまいました(自分でもどの程度スピードを出していたか覚えが無いので、出頭してみないと判らない)。ガックリ。
2003/01/07(火) 晴れ


[ 今日から仕事始め 選挙の当たり年でもあり忙しい一年になりそうだ ]
 11時から、恒例の内子町新年挨拶会(内子町・内山森林組合・内子商工会・JAの共催)に、来賓として出席させていただいた。
 13時30分から自民党議員総会。知事選挙の対応について協議。
 15時からは県民文化会館に於いて、県内各種団体合同の‘愛媛県新年挨拶会’に出席。乾杯のあとすぐに井原県議とともに選挙事務所に直行し、選挙期間中の広報宣伝車のスケジュールづくり(今になって急遽すべてを僕達に任された)。
 ギリギリまでバタバタして、17時からの‘自由民主党議員新年会’に出席。知事はじめ愛媛県選出のすべての自民党所属国会議員の方も参加された。
 ‘愛媛県新年挨拶会’の挨拶の冒頭で知事が「正月休み中に二日間露天風呂に浸かったら風邪をひいてしまいました・・・」と、言われたので、新年会の席で本人にどこの温泉にいかれていたのかを聞いてみたら「湯布院です」とのこと。それも、あの大雪の降った4日の日だったらしい。侑己と同じ状態で風邪をひかれたということの様だ。なんとなく身近に感じ、笑えた。
2003/01/06(月) 晴れ


[ 正月休みも今日まで 子供達とこんなにズーッと一緒にいたのは初めてじゃなかろうか ]
 今日は一日を帰宅の為に費やした様なもんだった。侑己の熱は依然として38度を超えていたが、午前中のうちに出発。あいかわらず大分道は全線通行止めのため、国道210号線でとりあえず別府を目指したのだが、途中には乗り捨てられた車が残骸のように転々としていた。城島遊園地を過ぎたあたりでチェーンをはずした。
 別府市内に入るとウソみたいな好天気で、ハワイに来てる感じがするくらいだった。あったかくさせてずっと寝かせていた侑己はだいぶよくなったものの、本調子ではないし周もいるので個室の予約できた臼杵発18時30分の便に乗った。
 9時ごろに八幡浜に着いたが、フェリーを降りた瞬間にまたまた「唖然」。またチェーンをつけるはめになった。10時過ぎにようやく無事たどり着きました。家に着く直前に侑己が「僕は完全にしんどくなくなった。」と、自ら宣言しました。(実際にウソのように元気になってます。)
2003/01/05(日) 晴れ


[ 波乱万丈の一日でした ]
 朝のうちに雪が降り始めたので、あわててタイヤチェーンを買いに走った。MPVに合うサイズが無くてあせったのだが3軒目にようやくあった(1万9千円もした)。
 はじめての経験の賢四烽ニ侑己は積雪におおはしゃぎだった。
 昼前になると雪もやみ、融け始めたので「せっかく買ったけど、付けなくてよくてよかったね。」などと言いながら、山の中の地鶏料理屋さんで昼食。
 昼食後、雪が降る前に早めに帰ろうと、帰路につく。が、‘湯布院IC’について「唖然」。雪で高速が通行止めになっていた。時間的には充分余裕があったのであわてず一般道で帰ることにした。
 しかし、その一般道もスリップ事故で通行不能になってしまった。よって、今日帰るのを断念。明日の昼間に帰ります。
 由布院内も大混乱で、僕自身も雪の中を小一時間交通整理をした。そのうえ雪ではしゃぎすぎた侑己が熱をだしてしまい、なんとか夕食を口にしたのが9時過ぎとなった。
 高速道路は雪に弱いことと、冬の天気は30分でガラッと変わってしまうことを思い知りました。
2003/01/04(土) 雪


[ 湯布院でゆっくりする まちの中はものすごい人出 ]
 今日は阿蘇方面に行って、羊のレースを見たり子供たちを馬に乗せたりする予定だったが、あいにく朝から雨模様。
 そのうえ古谷夫人がダウン(昨日我が家の子供たちと‘手を抜かずに’遊んでくれたので、年末からの忙しさとともに疲れがドッと出たのだろう)したので、予定を変更して今日は‘何もしないでゆっくりする’ことにした。
 朝ごはんは湯布院で評判のパン屋さんに買いに行き、昼ごはんも同じく評判の肉屋さんのコロッケとロールケーキをゲットしてすませる(まちの中は県外ナンバーの車があふれ、すごいことになっていた)。夕方には古谷夫人も復活したので、夕食はうちの奥さんが買出ししてきた材料で‘しゃぶしゃぶ鍋’を全員で楽しんだ。
 男たちにとっても、休養できていい一日だった。
2003/01/03(金) 雨


[ 体にはハードだけれど、気持ちはとてもリフレッシュしてます ]
 朝6時前に起床して(昨晩の片付けで夫婦ともに寝るのが3時まえだったので、ほとんどね寝た気がしない)、八幡浜港を8時40分発の臼杵行きフェリーで九州に上陸。臼杵に着いたのは11時前だったが、高速道路が開通しているのでとても便利になっていて、12時には湯布院の宿舎に着いた。
 荷物だけ降ろした後、ハーモニーランドに直行。これまた、高速道路と自動車専用高規格道路のおかげで30分で着いた。四国の高速(高規格)道路の8の字完成の必要性を痛感した。
 ハーモニーランドはすごい人出でびっくりしたが、こういうところは初めての賢四烽ヘ、とてもうれしがってハイテンションになっていたが、着ぐるみのキティちゃんを見て、自分がテレビの中に入ったような気がしたのか緊張してカタマッていた。
 5時前に古谷夫婦と合流(彼らはきのう東京から湯布院いりしていた)、地鶏の炭火焼屋さんで夕食。とてもおいしく、子供たちも大はしゃぎ。
 連日の睡眠不足と疲れで、いつの間にかコテッと寝てしまっていて、この日記は二日目にして早くも本年初の朝書きになってしまいました。
2003/01/02(木) 晴れ


[ 一年の計は元旦にあり ]
 2003年 元旦 あけましておめでとうございます。
 8時過ぎからこられはじめた‘お年始挨拶’のお客さんは、3時までにひと段落した。河辺や肱川からもわざわざ来ていただいた。ありがたいことだ。
 4時ごろからは、第二部の若手主体の‘正月恒例ワイワイガヤガヤの会’。今年は9時過ぎに終了したが、飲み方が半端じゃないのでお酒の消費量はすごかった。
 明日は、朝一番から家族で九州に行く(将太朗は留守番)ことにしているので、今日のうちに片付けを済ませました。今日は珍しく将太朗がよく働いた(お年玉ねらいというのはミエミエなのだが、それでもありがたかった)。
 今年は、僕にとって大切な節目の年。自分自身のひとつひとつの行動の意義を確かめながら、飛躍の年にしたいと思っています。ご指導ご鞭撻を宜しくお願いします。
2003/01/01(水) 雨


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